Photo 365 MAGAZINE & DIGITAL PHOTO LABOS
2004.08.09
vol. 8
写真を仕事にしたい人、写真家になりたい人はもちろん、
写真に興味のある人なら誰でも楽しめるメールマガジンです。
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こんにちは。
雷鳥社「Photo365MAGAZINE&DIGITAL PHOTO LABO」エディターのオオネダです。
写真を撮ること、観ることが好きな人にお届けしているこのメールマガジン。
第一線で活躍する写真家のインタビュー、写真の撮り方のワンポイントレッスンという二つの柱でお届けしています。
先週から、ポートレートでも「フォトセッション」ということにこだわり続けている坂田栄一郎さんにお話をうかがっていますが、今週も引き続き坂田さんの魅力をたっぷりお届けします。今週は、うらやましいほどの坂田さんのニューヨークでの生活に迫ります。

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私が写真を撮るワケ
自然と人間の共生を写真で伝えたい。写真家・坂田栄一郎インタビューVol.2
DP屋さん、大学の先輩、バイト先の社長、篠山紀信さんなど、様々な人との出会いが坂田栄一郎さんを写真家へと導いてきた。「私が写真を撮る理由(わけ)」第1回目では、写真との出会い、そして今日の坂田栄一郎さんを形づくるきっかけともなったリチャード・アベドンについてうかがった。
第2回目は、ニューヨークでの生活、そしてニューヨークでの、人々との出会いについて迫ってみたい。
■ Profile ■
坂田栄一郎(さかたえいいちろう)
1941年東京生まれ。1965年、日本大学芸術学部写真学科卒業後、1966年に渡米。ニューヨークで写真家リチャード・アベドンに師事。1970年、個展『Just Wait』でデビュー。1971年に帰国後、CM、雑誌などを中心に活躍。一方で、週刊誌『AERA』の表紙は、1988年創刊以来担当。撮影した人数は850人を超える。また、1993年には世界でもっとも有名な写真の祭典である「アルル国際写真フェスティバル」に招待され、「アルル名誉市民賞」を受賞。写真集に、『注文のおおい写真館』(流行通信社・1985年)、『Talking Faces』(六耀社・1990年)、『amaranth』(1995年・朝日新聞社)がある。
(C)坂田栄一郎
「PIERCING THE SKY―天を射る」坂田栄一郎展
静謐なモノクロの「人物」と色鮮やかな「自然」が対峙するように表現した、未発表作品約100点を展示。
会期:2004年9月4日〜10月11日
お問い合わせ:東京都写真美術館(TEL:03-3280-0099)
詳細はこちら

マニュエル・ルグリ(バレエダンサー)(C)坂田栄一郎

「PIERCING THE SKY―天を射る」
7年の歳月をかけて撮りおろされた人と自然の姿に、太古から交わし合ってきた生命の息吹が見える。悲劇的な世界を救う力はどこにあるのか、現代社会で我々に問われていることは何か?警鐘と深い人間愛に満ちた一冊。デザイン・井上嗣也、寄稿文・丸山健二といった豪華ラインナップ。
求龍堂(9月4日の東京都写真美術館の展覧会に合わせ刊行)/価格未定

※1 8×10
エイトバイテンまたはバイテンと読む。8×10インチの大判シートフィルム

※2 ダイアン・アーバス(Diane Arbus)
1923年生まれ。ニューヨークの裕福なユダヤ人中流階級に生まれる。戦後、コマーシャル、ファッション写真家として『ヴォーグ』誌や『グラマー』誌で活躍。1950年代後半からは作家として活動。1967年、ニューヨーク近代美術館で開催された “ニュードキュメンツ”展に選出されて評価を高める。作品は、性倒錯者、小人、巨人、精神病院の収容者、公園に集う人々、ヌーディストなど多様。主要作品は、1960年代の約10年の期間で制作されている。1971年に自殺後、翌年刊行された初の写真集『Diane Arbus: An Aperture Monograph』は25万部以上も販売される。

200ドルを握りしめて、いざニューヨークへ
1966年、「晃和ディスプレー」の社長が貸してくれた200ドルと片道の航空チケットを握りしめていざニューヨークへ。

「ニューヨークに行ったらすぐにスタジオのアシスタントになって撮影に携われるという期待を抱いていたけどとんでもなかったね」

坂田さんがまず初めに指示されたことは、アベドンが写真を始めてからその時までの過去約40年間の写真のコンタクトプリント(ベタ焼き)をとることだった。

アベドンといえば、8×10(※1)を使って1カットで300枚くらい撮るといわれている。目の前にあったのは、いくつもの箱の中に無造作に押し込められた8×10の膨大なフィルムの山だった。

1.5メートル四方、天井高2メートルくらいの狭い部屋でまる一年、アベドンのすべての作品のコンタクトをとり、資料整理をした。そして、この長く地道な作業を終える頃には、アベドンの作品のインデックスが坂田さんの頭の中にたたきこまれていた。20代にしてアベドンの全作品に、直に触れることができたのだ。

「これでアベドンのすべてを見たと思ったね。26歳にしてアベドンのすべてをもらったと思ったよ(笑)。それで、その頃から新たに自分の写真に挑戦し始めたわけ。そして、2年目になっていよいよカメラまわりにつけるぞって思ったんだけど、そこがまた甘かったんだよね〜」
見よう見まねでメインプリンターに
ネガのコンタクトの後に待っていたのはカラーフィルム現像の仕事だ。当時、自宅でカラー現像をすること自体がたいへん珍しいことだった。またこの頃は、カラー現像の他にもモノクロプリントの助手もやり、ほんのたまに、スタジオの手伝いをさせてもらえるようになっていた。

「モノクロプリントに関しては、ハンガリー人のジョージというアベドン専用のすごいプリンターがいたんだよ。でもジョージがクビになった後は僕がアベドンのメインプリンターをやることになっちゃったの。キャリアがあるわけではないし、もちろんすぐにはできないよね。でもとにかく見よう見まねで、プリントしてはアベドンに見せて『ここをこう直せ』って言われて何回も直しながらやってたよ」

そして、ニューヨークに来て1年半が過ぎた頃、やっとセカンドとして念願のスタジオに入れた。

アメリカのスタジオシステムは日本と少し異なり、スタジオマネージャーがいて、その下にチーフ、セカンドとくるそうだ。スタジオマネージャーは常にスタジオにいて、ありとあらゆることを指示する。坂田さんがいた当時は、頭のいいユダヤ人のマネージャーがいて、ストロボ機材など壊れるとすべて自分で直していたという。

「それで1年くらいしたら今度はチーフがクビになって、僕がチーフになっちゃったの。あそこはよく人がクビになるから、僕がいた4年の間にも4〜5人はクビになったかな。だから僕はアベドンのところに行って、2年半くらいでチーフになったわけ」

トレーニングビザでの2年の滞在期間が過ぎたとき、アベドンは坂田さんのためにビザを申請してくれたという。アベドンからそこまで求められるような存在になった理由は何だったのか。

「やっぱり人の十倍働いたからじゃないかな(笑)」
お金と時間は作るもの。貪欲に、ただがむしゃらに
アベドンに師事して3年が過ぎたころ、アベドンは当時画家であったジャック・ラルティーグが若い頃撮った写真を見て驚愕した。その写真があまりに魅力的でユーモアに溢れていたからだ。そこでアベドンは『ハーパース・バザー』の天才アートディレクターだったビア・フェルターに声をかけ、ジャック・ラルティーグの写真集の編集を始めた。

「僕はその写真集のデザインの手伝いを積極的に買って出たんだ。すごく勉強になったし、楽しかったよ」

休日に手伝いをしながらも、時間を見つけては夜中でも写真を撮りに行き、貪欲に取り組んだ。チーフになっても給料はギリギリだから、バスや地下鉄に乗らずに、浮いたお金をフィルム代にまわしていたという。

「ハングリーな時代だったからね」

坂田さんの好奇心旺盛でまっすぐな姿勢はダイアン・アーバス(※2)にも強い印象を与えた。当時ダイアン・アーバスは、アベドンのスタジオによく出入りしていた。彼女はドライヤーを持っていなかったため、濡れたプリントを乾かしにスタジオに来ていたのだ。坂田さんはそれをいつも手伝ってあげていて、彼女はそのお礼にとお金をポケットに入れていく。そのたびに坂田さんはお金を返していた。「僕はあなたの写真が好きだからやっているだけだから、お金の心配はしないでくれ」という手紙を書いて送ったこともあったそうだ。

ある日彼女から「あなたは本当に私の写真が好きなの?」と聞かれた坂田さんは「はい、好きです」と答えた。そうしたら後日、彼女から手紙と双子の少女の写真が送られてきたというのだ。

ただ一生懸命、相手のために、そして自分自身の成長のために取り組む姿勢というのは、自然と相手の心に響いていくものなのだろう。

ただしこの話には続きがあって、ニューヨークの狭い部屋でハンバーガーを食べていた坂田さんはその汁を写真の上に飛ばしてしまったのだ。「これがその時のシミなんだよ」と笑いながら、双子の少女の右にある茶色のシミを見せてくれた。そんな飾らないところが、坂田さんの魅力なのだろう。1枚数千ドルもするダイアン・アーバスのオリジナルプリントにハンバーガのシミ。坂田さんらしいエピソードだ。
ダイアン・アーバスから送られた手紙はいまでも大切に額に入れて飾ってある
手紙と一緒に送られてきたダイアン・アーバスの作品。こちらも大切に額に入れ飾られている
次号(8/16配信)に続く

写真


柳谷杞一郎の写真上達のための100のルール
こんにちは。
柳谷杞一郎です。
「Photo365MAGAZINE」の読者のために、写真上達のためのヒントを毎回少しずつご紹介しています。まずスタートから18回は、『花写真〜上手になるための18のルール』(雷鳥社)という本で一度書いていたことをおさらいしていきます(Photo365MAGAZINE版オリジナル原稿に手直しした部分もあります)。
今回はその8回目です。
■ Profile ■
柳谷杞一郎(やなぎたにきいちろう)
写真の学校/東京写真学園主宰。
1957年広島県生まれ。広告・出版物の制作ディレクターを経て、88年エスクァイア日本版の月刊化に際し、編集者として参加。90年副編集長。91年にカメラマンに転身。“大人の感性”と“少年の温もり”の混在する写真家として注目を集める。写真集に『Rapa Nui』『X』、著書に「写真でわかる<謎への旅>」シリーズの『イースター島』『マチュピチュ』などがある

「写真の学校」の教科書
はじめて一眼レフを手にする初心者からプロカメラマン目指す上級者まで、写真が大好きな人が通っている写真の学校がつくった「写真の教科書」。作例の写真が豊富に掲載されていて、写真を本気ではじめる人にはうってつけの1冊
雷鳥社/1‚575円(税込み)

東京看板娘(ガール)
東京都内、東京近郊で商売を営む「看板娘」にスポットをあてた写真集。一口に「看板娘」といっても、家の手伝い、老舗の後継ぎ、自分でお店を構えたオーナー……と様々。本書片手に掲載店を周り、「看板娘」を訪ねるのもひとつの楽しみ方。全店舗リスト掲載。
雷鳥社/2‚940円(税込み)
rule8

 開放のアップばかりじゃ芸がない。
 どんな写真にもベストの絞りがある。
 どこからどこまで
 ピントが合っていればいいのか、
 ボケの具合を想像するくせをつけよう。


ピントの合わない部分が写真を面白くしているのだということを自分自身の写真の中で理解できるようになっていったら、次の段階に進もう。

ルール7で書いた、写真をすべて「開放」か「絞り込む」かのいずれかで撮るというのは、やはり極端すぎるといえば極端すぎる。本当はどのような状況でも、ここからここまでピントが合っていれば、もっとも魅力的に見えるというベストの絞りがあるはずである。

例えば三列に花が並んでいて、一列目の花が主役で一番面積比が大きいとする。主役にピントを合わせ「開放」で撮ると一列目の花の後の方の花びらにはピントが合わない。とすれば相当に不安定な感じがする写真になるはずである。絞り込んですべての花にピントを合わせるという手もあるが、二列目、三列目の花はボケてしまったほうが主役の花がひきたつかもしれない。一列目の花のすべての花びらにピントが合い、二列目、三列目はボケるという絞りはF5.6なのかF8なのか、これを意識することが重要なのである。


-Kiichiro’s Voice-

ルール7では、「開放」と「絞り込むか」のいずれかを選べばいいんだ、なんて言っておいて、今回は違うことを言い出してしまった。そう、本当はいつもいつも「開放」か「絞り込むか」のふたつにひとつが正解というわけにはいかない。どんな状況にもそれぞれの表現者にとってのベストの「絞り」が存在する。

ルール7で、極端なことを言ったのは、意識して「開放」または「絞り込む」で撮影していくうちに「絞り」の重要性に気付いてもらいたかったからなのだ。「開放」ばかりで撮っていると、今回は一段絞って撮ってみようとか、二段絞って撮ってみようとか、浮気心が生じる。そこが、いいのだ。

好奇心のあるところにこそ、新しい表現が誕生する。
花写真〜上手になるための18のルール〜/監修・写真の学校/東京写真学園
写真を上手に撮るために心掛けるべきことは、たった18のルール。まだカメラを持っていない人から中級者まで、読んで楽しい一眼レフカメラ入門の書。
雷鳥社(2002/03)/1‚155円(税込み)




編 集 後 記
坂田さんはフットワークだけではなく、トークも軽快だった。レゲエが好きで携帯の着信音はボブ・マリーのクリスマスソング。NYでのアフロ姿の写真も見せてくれた。そんな坂田さんの奥様、光豆さんも本当にかわいらしくてステキな方で、明るく楽しいご夫婦でした。私もこういう家庭を持ちたいな〜なんて思ってしまった。(Hanaoka Mariko)
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