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劇団あかぺら倶楽部の次回公演!!
劇団あかぺら倶楽部15周年記念公演 第25回公演 『法王庁の避妊法』 6月29日(水)〜7月3日(日) 場所:東京芸術劇場小ホール2にて 作/飯島早苗・鈴木裕美 演出/水鳥鐵夫 ローマ法王庁が唯一認めた避妊法「オギノ式」。それを発見したのは、日本のある病院の、一介の産婦人科医・荻野久作であった。彼を取り巻く人々の愛らしくも滑稽で、感動的な「生命」の物語。 高木さんは産婦人科医・荻野久作役で出演!! ※チケット発売は4月24日(日)開始。 詳細はこちら劇団あかぺら倶楽部HPにて
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※1 劇団あかぺら倶楽部第18公演 『MOTHER〜君わらひたまふことなかれ〜』 (2001.11.27〜12.2) 舞台は明治。政府による思想弾圧の風が強かった時代を背景に、作家・与謝野晶子と鉄幹夫妻と、そこに集まる様々な人間模様が描かれた舞台。
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原点は、人を楽しませることが好き!!
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――― 高木さんは小さい頃から俳優や声優になりたかったのですか? 最初に俳優や声優になることを意識されたのはいつごろでしたか?
小さい頃、よく仮面ライダーとかになりきって遊んだりはしましたね。『太陽にほえろ』のジーパン刑事の死ぬシーンとかもマネしていましたし・・。結構昔から何かになりきる事が好きだったのかもしれませんね(笑) 。
部活動は、中学のときはバスケットボール部、高校のときは卓球部。演劇部は考えていませんでしたが、中学の頃TVで見たパントマイムにすごく興味を持ちまして、面白いなと思ってよく自分でやってました。人を楽しませることは小さい頃から好きでしたね。
僕が真剣に芝居をやりたいと思い出したのは高校に入ってからです。じっとしているのが嫌いで勉強が苦手でしたから、自分は普通のデスクワークは出来ないなと思っていました(笑)。
大学付属の高校だったのですが、進学はアメリカの大学の日本校を選択しました。英語が出来るようになればアメリカで活躍できるだろうなんて、当時は安易に思っていたんです (笑)。
大学は大変でした。授業はすべて英語で行われるので英語で会話ができるよう、まず英語集中課程というのがあるんです。芝居の勉強は英語をある程度修得してからと考えていたんですが、ふと“このまま俺のスピードで大学本課程に行けたとしても無事卒業出来るのは28歳くらいになってしまうかも”と考えて、あっさり挫折(笑)。先に芝居の勉強しちゃおうと思い直しました。
そんなわけで、新学期が始まる前に学校を辞めたのですが、何せアメリカの大学のシステムだったので、時期は9月。自分でどこかの劇団に入ろうと思っていろいろ調べてみても、多くの劇団の募集時期が1月から2月だったのです。
半年も空いてしまうなぁと思っていた時『勝田声優学院』9月期生募集というのを見つけたんです。“声優”ってなんだろう、声で芝居するってどういうことなんだろと思ったんですが、俳優の仕事には変わりないんだと思い入学してみました。
――― 声優という職業を知らなかったのですか?
知りませんでした。アニメの絵自体がしゃべっているとはさすがに思っていませんでしたがね(笑)。勝田声優学院に入って、僕自身変わっていきました。声だけでイメージを作っていく世界ってどんなものだろうと、勉強すればするほど興味がわいていきました。
――― 役者の道に進むと決めたときにご両親はどのような反応をされましたか?
両親は僕がやりたいことを応援してくれる理解ある親でした。僕の同期の人の中では、親に反対されている人もいましたからね。そういった意味ではとっても恵まれていたと思います。
――― 勝田声優学院ではどのようなレッスンを受けましたか?
勝田先生は芝居うんぬんという以前に、礼儀とか人として大事な部分に対して厳しかったですね。今ではファッションとして帽子を被っている人も多いですが、レッスン中に帽子を被っていたりすると「脱げー!!」と怒鳴られたりしましたよ。挨拶をしっかりするとかそういったことをきちんと教えてもらった気がします。
僕が通っていたころの勝田声優学院は週1回の授業で、1年目の発声やアーテュキレーション、エチュード等の基礎科を勝田先生が、2年目の研究科では水鳥先生が1年を通して1本の戯曲を作っていくというスタイルで指導されていました。水鳥先生には芝居全体のことを教わりましたね。3年目はゼミ科といって自分の好きな先生を選んでレッスンを受けられたのですが、僕は週3日、3人の先生を受講していました。結局、勝田声優学院には3年通って勉強しましたね。
今から考えると不思議ですね。最初は声を発しない、身体だけで表現するパントマイムに興味を持っていたのに、気がついてみたら身体を出さない、声だけで表現する仕事に就いちゃったわけですから・・・(笑)。自分は声優の道を歩んでいくんだろうと思っていながら元々舞台は好きだったので、勝田声優学院を卒業した後、同期の仲間たちと一緒に劇団を立ち上げました。それが今もやっている『劇団あかぺら倶楽部』です。 |
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最初の公演では、お客さんは無料
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――― 『あかぺら倶楽部』を立ち上げる時はどのような感じだったのですか?
水鳥先生に演出をお願いしたのですが、あっけなく断られました(笑)。劇団は学校じゃないんだぞと・・・。ですが、なんとかこの思いを分かってもらいたくてチェーホフの『熊』という戯曲を自分たちで作って観てもらったんです。そうして僕らの粘り勝ちでやっと演出を引き受けてくれることになりました。但しすぐには旗揚げさせないという条件付きで。旗揚げ公演までに4回から5回ぐらい試演会をやりましたね。観に来てくださるお客さんは最初は無料。そして500円・・・というふうに、徐々に料金を頂くようにして本当の旗揚げまで2年ぐらい掛かったかと思います。
勢いに任せて旗揚げするのはいつでも出来る。逸る気持ちをまず押さえてしっかり基礎固めをしなさい、という水鳥先生からの大切な助言だったと思います。 |
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劇団あかぺら倶楽部『MOTHER〜君わらひたまふことなかれ〜』(※1)にて大杉栄役を演じる高木さん。
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同じく大杉栄役にて。変幻自在に変わる表情、動きで、楽しませてくださいます!!
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――― アルバイトはどのようなものをされていたのですか?
昼間レストランのウェイターをしてました。僕はあまり転々とせずに、やりだすと一つのところで長くやるタイプでしたね。ただ本当にやりたいのは役者ですから、いつ仕事が入っても良いように昼間は空けておきたいんですよ。声優の仕事が徐々に入ってくるようになってからは、夜新幹線のおにぎりを作るバイトをしたりと、しばらく兼ね合いが厳しい時期もありましたね。いつアルバイトを辞めてこの道一本でやっていくか、役者の皆さんが結構体験されることだと思います・・・。
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練習方法、呼ばれ方、とにかく考え方を固めない
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――― 養成所のレッスン以外ではどのようなことをされていましたか?
僕はあまり練習やらない怠け者だったんですよ(笑)。ただ、アルバイト先の休憩時間が1時間半ぐらいあったので、よく竹芝桟橋まで行って海に向かって一人で「外郎売り」とかしゃっべっていましたね。危ない人でした・・・(笑)。
僕は、芝居をする上で腹式呼吸は大事なことだとは思いますが、全てのセリフを腹式呼吸でやらなければいけないとは思っていないんですよ。特にアニメーションの場合ささやくシーンもあるし色々ですからね。よく私は腹式呼吸が出来ないんですという人がいますが、そんなことは絶対ないはずです。人間は寝ているときはみんな腹式呼吸ですからね。出来ます(笑)。
――― では、どんな声の人が声優に向いていると思われますか?
声優になりたい人は何をもって声優になりたいかを考えればいいんじゃないでしょうか?例えば面白い声が出せるということだけでは声優にはなれないと思います。声は面白くても、それで喜怒哀楽が表現できるのかということです。結局は芝居がしっかり出来る様にならないと難しいことだと思います。
これは僕の持論ですが声優はある意味職人のようなものかもしれません。絵を見て、その表情に声をあてて、間尺(しゃべる長さ)も決まっている中で芝居をしなきゃいけないんですからね。
次号(3/16配信)もお楽しみに!! |
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